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暇な男子大生スナフキンのナンパ日記

恋愛工学に感化された大学生が、美女を即ることと、金を稼ぐことを追い求める過程を記録した日記。twitter:@Opabinia_pussy

What do you want to do? あなたはどうしたいのか?

日常

「あなたはそこに行って何をしたい?」「あなたはナンパを続けてどうしたいの?」「あなたはどんな研究をしたい?」「あなたは将来どうしたいの?」

 

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http://money-hack.jp/would-like/より

 

 

話題や話す相手によって、重みは異なるものの、いつもよく人に聞かれたり、人に聞いたりする、あるいは自問したりもするフレーズだ。そして、おれ自身も含め、日常的な小さな「あなたはどうしたいの?」に対して、すぐに答えられなかったり、適当にごまかしてしまう人はとても多いように感じる。

 

「旅行どこ行きたい?」

「どこでもいいよ」

 

「将来どうしたい?」

「うーん。よく分からない。」

 

一方、ナンパを通じて何人かの欧米人と知り合ったが、彼女たちに共通に感じた印象は、この「What do you want to do?」に対してはっきりと意思表示をしてくるということだった。もちろん、彼女たちは何か目的を持って日本に来ているわけで、そういう子たちだからこそ、この答えに窮してしまいがちな問いに対してはっきり答えられるのかもしれない。つまり、彼女らが、この問いに対して明確な答えをその場で用意できたのは、彼女たちが「日本人でなく、欧米人である」こととは関係なく、「たまたま欧米人の、意識高めの人に出会った」だけかもしれない。しかし、ぼくはそれを差し置いても、欧米人たちが同年代の日本人に比べて、対象とする物事の大小にかかわらず、「今何をしたいのか」を念頭に置きながら行動しているように感じた。

 

そして、その理由の一端を担っているは教育制度の違いではないかと考えた。

 

一例として、ドイツの教育制度を挙げよう。ドイツでは、義務教育は日本と同じ6歳で始まり、小学校に入学する。そして初等教育の年数は4年。ここは日本とは異なる。しかし、小学校では簡単な読み書き計算を習い、この時点で日本の教育とそれほど大きな差はない。小学校教育終了後の、日本でいう5年生からの教育はドイツと日本で大きく異なる。

 

ドイツでは、小学4年生修了時、つまり10歳のときに、将来大学のような機関で高等教育を受けるか、それとも職人になるために職業訓練学校的な教育機関になるかを選ばなければならないのである。そして、このとき選んだ道を後戻りするのはあまり現実的ではない。

 

ドイツにおいては伝統的に職人徒弟制度に由来する即戦力的な職業教育と、大学教育に代表される高等教育が明確に教育課程として分離されている。従って日本における中学校及び高等学校のような、後期初等教育中等教育の時点から異なる教育を受ける事になる。もちろん両者は途中移籍や再履修が可能であるが、一方の学校を卒業した状態から直接もう一方の進路に進む事は現実的な方法ではない(職業訓練修了→大学など)。

wikipedia-「ドイツの教育」より

 

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http://www.lifehacker.jp/2013/06/130628whatiwantodo.htmlより

 

ドイツで生まれた少年少女は、10歳にして将来の選択を迫られるのだ。そして予想はつくが、この教育制度は柔軟性に欠けているとした批判もなされているようだ。

 

ドイツの教育制度とは異なるものの、欧州の他の国でも、将来像を考えざるを得ない教育制度は、たとえばフランスなどでも実施されている。そしておれは、この自分がやりたいことを考えざるをえない状況が、彼ら彼女らが、様々な状況において「私はこうしたい」と意見を持てるようにしているのではないかと考えた。

 

ことわっておくと、この記事は日本の教育制度批判でも、欧米マンセー記事でもない。日本の、集団を意識した教育制度は、もちろん突出した才能や何かに特化した才能を持つ人に対して不利に働くことがある、というのはよく言われることだが、「既存の教育制度に乗っかって真面目にやっていれば、特段才能がなくても、ある程度の水準の生活が維持できる(衣食住には困らない)」というのは、ほとんどの突出していない(あるいは突出している自覚がない)人にとって、とてもありがたいものだと思う。(おれも含めて。)そして、日本人の識字率は99%を超え、しかも数学的能力は米ハーバード大学などの欧米の名門大学に入学する学生と比べても、日本の同年代の学生はとても高い水準にある。これは我が国が誇ることのできることだと思う。

 

 

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国際学力テストPISAの我が国の高校生の成績。

http://www.nhk.or.jp/school-blog/500/175231.htmlより

 

 

ただし、「自分がどうしたいか」ということを考えるうえで、日本の教育制度にただ乗っかっているだけでは、それを考える能力がつきにくいのではないかと感じた。そして、おれの周りの人で、「あなたは何をしたいの」にはっきりと答えられる人はそれほど多くないと感じた。学歴や勤めている会社に関係なく。日本では、少なくとも高校まではいわゆる「学力」という共通の指標で学校での最も大きな評価のうちの1つが決まり、その画一的な評価システムは子供たちが「自分が何をしたいのか」を考える機会を減らす原因の1つになっていると考えた。

 

また、日本の高校卒業後の若者は、「大学全入時代」と言われ、誰もが大学に入学し、まあ入学するのはありとして、遊んで授業をサボっていても進級、卒業が可能な大学に在籍している。たとえばフランスでは教授に、「進級か恋愛かどちらかを選べ」と言われるほどに厳しい進級条件が課される大学と違い、学生のユートピアとなっている日本の大学で、「何をしたいのか」をいつも考えつつ、学業にいそしんで生活するよりも、友達と飲んで遅くまで遊んだり、授業をサボってセックスしている方がいいと感じるのは自然なことかもしれない。(おれ自身もある程度それに同意できる)

 

ここまで、日本の教育制度では、「あなたはどうしたいのか?」に対する答えを考える機会が少ないと論じたが、おれ自身はいつも「どうしたいのか?」に自分で答えを出しながら人生を歩んでいきたいと思っている。もちろん今の時点でできていないから、「歩んでいきたいと思っている」と書いたのだが。おれたちは、いつも何らかの物事に影響を受けていて、本当に自分が「こうしたい」と思っているのか、それとも周りに影響されて思わされたのかは分からない。たぶんそれは一生かけても分からないだろう。

 

だが、おれは大小様々な選択肢に対して、たとえ周りからの影響だとしても、少なくとも「自分で選んだ」と自分自身は感じられるように生きていきたい。それが、この自由で不安に満ちた社会で、自信を持って生きていくための唯一の方法だと思うから。

 

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